ほんとうの「奇跡」は、二人以上で目撃できる

『奇跡のコース』は、1970年代にアメリカで出版され、現在では世界20カ国以上で翻訳されている、真にスピリチュアルな書物で、「見方を変える」ことを教えてくれます。
「ほんとうの自分」を生きるためのガイドブックとして、各界の著名人が活用しており、ノーベル賞受賞者も、『奇跡のコース』の影響を公言しています。
365日、ワークをしていくのですが、やってみると、とても楽しいです。
例えば、
「私は私の見ている世界の犠牲者ではありません」
といった言葉を、生活の中で実践していくのですが、とてもパワフルで、現実が実際に大きく変わっていくことを体験できます。
日本ではナチュラルスピリット社さんなどから、『奇跡のコース』そして、ワークブックの参考書が出ています。
検索すると、ネット上にもワークブックの内容が出ています。
『奇跡のコース』は不思議な成り立ちの本で、コロンビア大学のヘレン・シャックマン博士が、ある日、「これは奇跡のコースです。書き留めてください」という心の声を聞き、対話しながらまとめたものとされています。
一説によれば、その声はイエス・キリスト意識だと言われていますが、『奇跡のコース』は宗教ではありません。
ここでは、ちょっと長くなりますが、ゆほびかGOLDの最新号に掲載させていただいた、ベストセラー作家の本田健さんと、NYで奇跡のコースの教師をされている香咲弥須子さんの特集、
「365日、奇跡を体験する、愛とゆるしの実践法〜奇跡のコースに学ぶ理想の人生の作り方」
から、香咲さんのお話を抜粋してご紹介させていただきます。
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◎奇跡の特徴は、「二人以上で目撃できる」こと
 私(香咲)の場合、「奇跡のコース」を始めて3日目、母が変わりました。
私はニューヨーク、母は東京に住んでいます。
母は忙しくしていることが好きで、用があったときだけ電話をしてきます。
「やすこ元気?」という電話をしてくる人ではありませんでした。
 しかし、奇跡のコースによって、「私は今まで思っていた私と違う」、「母も今まで思っていた母と違う」とわかった3日目、母から電話がかかってきました。
「なんでもないわ、ただ、電話してみたの」
 私はひっくり返るほど驚きました。これが「奇跡のコース」がいう、心の力なのかと。
 私は、「母は用がないときは電話をかけてくれない人だ」と思っていたのですが、そうさせていたのは実は私だったのです。
母をそのように決めつけ、私の決めつけが、経験を作っていたわけです。
 私が、「用のあるときしか電話をかけてもらえずに寂しい」という観念を作ったことで、母に電話をかけさせない現実を作っていました。
 私は自分のスピリット(魂)の回りにぐるぐるした雲のようなエゴ(自意識)をくっつけ、私は誰だ、この人は誰だという観念をエゴの中に作り、エゴを通してものを見ていました。
 それをやめて、私は自分が思っていたのとはまったく別の存在かもしれない、母も別の存在かもしれない、それを思い出しただけなのです。
 奇跡の特徴として、「分かち合いができる」ということがあります。
 「奇跡のコース」を始めると、ホーリースピリットの声を聞いたり、超常現象を経験したり、啓示を受けたりということが日常よくあります。
 でも、それは分かち合うことはできません。
 実は今日も、家を出てからこの場に来るまで、虹色の羽のような光が空にあって、私を見守ってくれていました。
 ですが、それを人に伝えても、「だから?」「幻想でしょ」と思われてもしかたないでしょう。
 一方で、ほんとうの奇跡は、分かち合いができます。
 私が「奇跡のコース」を学んだら、私の心が変わった。
 そのことで、母も解放されて、電話をかけてくれた。
 2人以上で分かち合える。
 2人以上で目撃できる。
 それが“奇跡”の特徴です。
◎人生のすべては、「与えられている」
 「奇跡のコース」は難解だという人がいますが、そう思うときは、急ぎ過ぎているのかもしれません。
 または、自分の都合で読んでいないか問いかけるといいかもしれません。
「この本は、来月の収入を上げるのに役に立つだろうか」と思って、自分の都合で読んでいると、難解に思えるのです。「奇跡のコース」を能動的に活かし、能動的に結果を得ようとする人ほど、自分の都合で読み、難解さを感じるでしょう。
 「奇跡のコース」は、能動的に得るものではなく、「与えられたもの」です。
 人生で、自分が能動的に求めて得たものは、ほんとうは、何ひとつありません。
自分のパートナーを能動的に自分で選んだと思いがちですが、そうではありません。パートナーは与えられました。
 自分の仕事は自分で選んだと思いがちですが、仕事は与えられました。
 この本を手に取り、今ページをご覧になっているのも、ほんとうは、与えられたことなのです。
 どんなときも、インスピレーションをポトッポトッと与えてもらって、導かれているわけです。
 なにかが来たときに、自分の都合でものを見るのをやめて、「こんなものがきた、ありがたい」「先入観や偏見なしに受け取れますように」と思うだけで、人生に無駄がなくなります。
 自分の都合で「奇跡のコース」を読むと、意味と目的をでっち上げてしまいます。
「試してみないと、自分に効くかどうかわからない。合うかどうかわからない」。そうした疑いの思いで読むと、結果はやっぱり“疑い”になるでしょう。
◎「手に入れたい」のが魔術、「与えたい」のが奇跡
 奇跡は、魔術や手品とは異なります。
 奇跡は、目の前にいただいたものに対して、ただ100パーセントありがたくいただくということです。
 魔術を求める心は、「あっという間にお金持ちになりたい。こつこつ働いてではなく、あっという間に」。「生活習慣を変えないで、あっという間に病気を治したい」。
「あっという間に手に入れたい」のが魔術を求める心です。
 奇跡はその逆です。
 求めない。ただ次々と与えられるものがあるので、与えられたものを受け取って、それを誰かと分かち合いたい。表現したい。
 つまり、与えたい。
「手に入れたい」のが魔術、「与えたい」のが奇跡です。
 母が用事がないのに電話をくれたことで、私は癒されました。
それまで私は、電話でお互いの声を聴いている嬉しさや安心感を見ずに、用事だけを見ていたのです。
「用があるから」「これを頼まないと」「あのことで謝らないと」「ご機嫌をとっておこう」
 そういう目的を決めて行動すると、「ほんとうに存在しているもの」を見ないことになります。
 なにかをほしいと思い、それを自分で取りに行こうとすると、自分の都合で世界を見ることになり、「ほんとうのこと」を逃してしまいます。
 それでは、人生を100年費やしたとしても、どこにもたどりつけないまま、何も起きないまま、終わってしまうかもしれません。
(ここまで引用。香咲弥須子さん談。ゆほびかGOLD25より)
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香咲さんは、不定期に来日され、日本でも「奇跡のコース」を学ぶセミナーをなさっています。次回は3月にいらっしゃるとのこと。
http://www.crsny.org/ja/
この記事は、昨秋に行なわれた本田健さんと、香咲さんのセミナーを取材させていただいたもので、本田健さんのパートも、とても感動的な内容になっています。貴重なご縁から、すばらしい特集を担当させていただくことができました。
編集者冥利に尽きるとはこのことです。
本田健先生、香咲先生、ご協力いただいた皆様に、心から感謝申し上げます。